
吉村昌也 刷毛目徳利
刷毛目の徳利を一輪差しにして
庭の紅額あじさいを入れました。
箱には「刷毛目徳利」とあるので、間違いなく徳利なのですが
ちょこっと手折った身近な花に、とても合います。
この刷毛目の具合が夏の白雲のようで
花を入れて眺めていると、いつも思い浮かぶのが
『 白 雲 抱 幽 石 』(白雲、幽石をいだく)という
お茶席には、この季節におなじみの禅語です。
文字通り、深山幽谷に、巨石をも包み込むように
ゆったりと湧き出る白雲。
それだけで自然の幽玄さと豊かな時間を満喫できる気がします。
これは作者の寒山という禅僧が
「あなたは、どんなところに住んでいるのか?」と
尋ねられた時の答えとして、『寒山詩』のなかに出てくる句です。
しかし、禅語として言い伝えられているということは
もっと深い意味があるはず。
私なりに解釈しているのは・・
石のように頑な心も、
白雲はおおらかに、ありのまま抱いている、と。
「北風と太陽」のように、旅人の重いコートを
なんとかして脱がそうと(相手を変えようと)するのでもなく
不安や悲しみで硬くなってしまいがちな心も
ありのまま、そのままでいいんだよ、と優しく抱くように
認めていくのがいいんだ、というふうに感じます。
大好きな歌「白い雲のように」みたいに
まったりと、おおらかに人生を旅していけたら幸せですね。
ちなみに、この詩の終わりのほうで寒山は
『 虚 名 定 無 益 』(虚名、定め益なし)
名声(や、富など)は、まったく虚しくて無益だ
と、言っています。
梅雨も本格的、と感じる日々。
紫陽花は、湿度が高くなってくると
色が濃くなっていくそうです。
紅額(べにがく)は、咲き始めは真っ白で
雨が降るごとにどんどん紅色に染まっていき
花が終わる直前に深紅になります。
ちょっと悲しげな赤です。
2016年06月13日 粉引・刷毛目 トラックバック:0 コメント:0

吉村昌也さんの粉引台皿と冠向付です。
吉村さんは少し変わった経歴を持つ作家さんで
フランス語が堪能で、商社マンとしてお勤めをしながら
夜間や休日に陶芸を学び、その後独立されたと聞いています。
茨城県の笠間に築窯なさって
李朝の粉引を師としながら生み出される”吉村粉引”は
独創的で生き生きとし、凛とした気迫を感じます。
多くの人を引き付けるその作品の魅力は
細部まで行き届いた繊細さが
全体の緊張感を創り上げ
張りつめられた空気に目が離せない...というところでしょう。
青白く輝く肌は光沢があり
粉引でありながら素地は固く焼き締められていて
吸水性は少ないので染みにならずに
食器としても使い易いです。
焼きものは、割れても破片は朽ち果てることなく
永久に残っていって、何百年後に掘り出されたりします。
陶を焼く人はそのように”悠久の時間”に介入して
ずっとあとの誰かにメッセージを残せるんだ! と思うとスゴイけれど
それだけに、今のことだけを考えずに
惜しみなく注ぎ込んで
”今”を見せてほしいですね。
2012年06月17日 粉引・刷毛目 トラックバック:0 コメント:0

笠間の吉村昌也さんの粉引湯呑と高杯です。
吉村さんの粉引は、キリッとした緊張感ある白が
使い手の心を虜にします。
昨年の震災で、茨城県笠間にある吉村さんの窯も崩壊し
壊滅的なダメージを受けたことを
迂かつにもつい最近知りました。
笠間はどうだったのか、心配はしていましたが
壊滅とは想像以上でした。
再建を断念することも考えざるを得ない状態だったところ
吉村さんを励ます有志の方々のご尽力により
数百万かかる窯の再建支援のための寄付が集まり
念願が果たせたそうです。
吉村作品のファンでありながら無力ですが
こうして作品をご紹介していくことで
応援していきたいと思います。
ひとつことに熱中し、邁進する人の姿は
いつしか他の人の力を呼び寄せ
共感を与え
勇気を送り返すことができるんだと知りました。
2012年05月27日 粉引・刷毛目 トラックバック:0 コメント:0
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