はじめての金継ぎ

朱コマ4寸鉢
朱コマ4寸鉢


ばりん!と割ってしまうことは無いのですが
気に入って頻繁に使っているうつわを
洗う時などに、カチッと当ててしまったりして
欠けやひびを作ってしまうことが時々あります。

そんな時は、大事に扱っているつもりなのに自分でも情けなく
痛かったでしょうと、つい
ごめんね〜と、うつわに謝ってしまうものです。

愛着のあるうつわだったり、使い易いうつわだったりしても
欠けたまま使うのは嫌なので、とりあえず仕舞ってあったのですが
初心者用の金継ぎキットを買って
自分で直してみました。初めてです。

欠けを埋めるためのパテを砥の粉と漆を混ぜて作ったり
温度と湿度に気をつけながら何日間か乾かしたり・・・
作業はおもしろかったのですが
難しいのは、やはり漆を塗って金粉をまくことですね。

金粉をつけるための漆を薄く均一に塗って
その漆を適度に乾かす時にも
塗りかたが、厚かったり均一でなかったりすると
金をまいた時に漆の乾きかたがまちまちで、くっつきがムラになり
漆が厚かった部分などは、時間が経つと金が沈んでしまったりして
仕上がりが斑になってしまいました。


はじめての金継ぎ

はじめての金継ぎ

はじめての金継ぎ

はじめての金継ぎ


はじめての金継ぎの仕上がりは、こんな、でした。
まぁ、このムラも、少し侘びた感じ、ということで、マル。

これでまた使えるようになったので
よかった。。

漆や、金粉.....均一になるようにするには
乾き具合やタイミングなど
もっと何回もやってみなければわかりませんが
そんなに欠けたうつわを作りたくないし、ね。

けれど、大事にしまい込んで使わないより
毎日使って、欠けても修理してずっと使うっていうこと
良いと思います。
うつわは、大事な相棒ですから。

2015年02月18日 焼きもの全般 トラックバック:0 コメント:2

移りゆく季節のなかで

2014/09/01 秋草


9月になりました。
秋カイドウ・金水引・リヨン草・角虎の尾などが
降り続けた雨のなかで満開です。
長雨のため雑草も伸びてしまいました。
もっとも、雑草という名の草は無いのですが....。

厳しい残暑を覚悟していたから
ちょっと戸惑うほどにストンと秋がやって来たみたいです。


桃をむいて、どのお皿にしようかと.....

気温によって、同じ素材でも使いたいお皿が
変わってくるから、不思議です。
これが、うつわの魔力かな。

染付芙蓉手 桃

まだまだ暑いという気候なら
桃の甘酸っぱさと清涼感をイメージして
染付の芙蓉手。

だけど、25〜6℃の過ごし易い気温では
豊潤な桃の持つイメージから
青手九谷の濃厚さがいいかな。

青手九谷 桃

移りゆく季節のなかで、名残惜しい食材を慈しむように
楽しむのもいいものです。

急に涼しくなって、冷蔵庫のなかの西瓜が
色あせてしまった気がします。
ようやく晴れた今日にでも、食べてしまいましょう。
夏にサヨナラです。

2014年09月02日 焼きもの全般 トラックバック:0 コメント:0

「無心」という境地とは

橋本薫 唐子そば猪口
藤井憲之 青白磁蛍手7寸皿  橋本薫 唐子そば猪口


見ていると、つい笑みがこぼれてしまうような
子供が楽しそうに遊ぶ光景。
子供が何かをしている仕草というのは
見ているこちらも飽きることがない愛らしさです。

焼きものの「童子」や「唐子」といわれる図柄は
可愛い、ということで好まれますが
古典的な図柄はいろいろなものを象徴的に
表わしている場合が多く
子供は、無心で邪気の無い存在─ということから
神性を秘めたエネルギー、本来の姿 などを
連想させてくれます。


昨日、子供の頃いっしょに育った、と言っても過言でない友人が
ケーキを持って、30年ぶりに家に来てくれました。

30年以上連絡を取り合うこともなく
風の便りで時々噂を耳にするだけで
海外で暮らしていた彼女とは会う機会もなかったのですが
お正月に突然メールをもらい、来訪してくれました。

空白の時間を埋めるようにお互いのことを聞き
話しているうちに、あっという間に日が暮れて
彼女は帰って行きました。

ひとりになって、彼女と話したことを考えていると
なんだか、自分の原点というか、ルーツみたいなものに
たち帰っていくのを感じ・・
ふと、無邪気に遊ぶ童子の図を見て
”無心”という言葉を思い出しました。

無心とは、一体どういう境地だったのだろう...と。
あの頃は、無心だったのだろうか。


明日は、雪が降る....かもしれない、という予報。
いよいよ降るのかな。。。


2014年01月14日 焼きもの全般 トラックバック:0 コメント:0

「つくる人」と「使う人」

モノには「つくり手」と「使い手」がいて
創る人は、より良いものを創り出したいと思い
使う人は、より良いものを選んで暮らしの道具としたい、と思う。
どちらにとっても、それが ”喜び” なのです。

「売り手」は、どちらからも”熱”が伝わってきて
その温度を、感じ取る。

温度は熱すぎてもいけない。(ヌルイのはもっといけない)

「つくる人」は、自分が作りたかったのは、コレだ!というものを
求めて、創造する。
「使う人」は、コレじゃなきゃ!というものを探している。

それぞれの温度に ”なるほどな” と感じる瞬間があると
私は、とても嬉しい。

「つくる人」と「使う人」の双方が
高いレベルで納得できるモノ
その『一致感』みたいなものを
求めていきたいなぁと思う。

「つくり手」のワクワク感。
「使い手」のワクワク感。
そんな幸福感が広がっていくといいな、と思います。

両方の幸福感のおすそ分けをいただけるのが
私の立ち位置だから、私も幸せですね。


今年のお正月は、そんなことを考えていました。

もう、七草。。。
日常が戻ってきました。

2014年01月07日 焼きもの全般 トラックバック:0 コメント:0

作家もの陶器について

   作家もの陶器について

写真は30年近く愛用している汲出です。
出来たての時はもう少しアッサリした感じでしたが
くり返し使っているうちに、貫入にも色が入って色に深みが増し
手触りもなめらかで、ツヤツヤになってきました。
作者は中島克童さん(左)、吉村昌也さん(奥)、藤沢重夫さん(手前)です。


作家ものの焼物は、作家が心を込めて1点1点作り上げた”作品”です。
全く同じものは、ありえません。

同じ作者の定番の作品でも、土・釉薬の調子・ろくろの具合・窯や火の具合
気温、湿度などの気候によって、焼き上がりに違いが出ます。
また、お使いになっていくうちに変化していく性質のものもあります。

大量生産によって均一に作られたものは、出来映えがよく見えても
時を経るうちに劣化していくものですが
作家によって、息吹きを与えられた作品は
使用によって”育って”いく、生きものです。


縁有って使い手の手元にたどり着いたうつわが
愛用され、その家庭や環境で育ち
時が重ねられていくこと
それこそが、作品を世に送り出した作者の想いでしょう。

・・・と、私は思うのです。

もちろん、無名の陶工たちによって無欲無心に作られた
魅力あるうつわもたくさんあります。

作る者の手を通して、作為や無心さがあらわれるところも
またおもしろいところなのかもしれません。



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2012年12月01日 焼きもの全般 トラックバック:0 コメント:0

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